悲しいお知らせがあります。
今日はこの大好きな雑誌での思い出を少し書きたいと思います。
出会いは2001年。
まだカメラマンとして駆け出しだった私が、以前編集長だった中山さんに大きな仕事を
任されたところから始まります。
それは、とっても過酷な、でも楽しい仕事でした。
当時、サッカー界は2002年のワールドカップ自国開催(韓国と共催か。)に向けてとても
盛り上がっているところでした。
そんな中、頂いたお仕事が「韓国開催10都市、一人で一周してガイドブックを作る」という
なんとも無謀な企画でした。でも、すごく面白そうだったし、私は二つ返事ですぐさま
韓国に飛びました。
タクシーなどお金のかかることはダメ、公共の交通手段で約3週間、スタジアム取材も
ホテルの予約もすべてアポなし、突撃取材でした。
でも行ってみると、本当に韓国の方々は優しくて、結果10都市で半分以上はスタジアムの
方々に食事をご馳走になる、というステキな思い出深い仕事でした。
ただ、やはり日が経つごとに疲れやモチベーションの波が写真に出るようになり、
中山さんに帰国後、笑いながら怒られたことを思い出します。
それからというもの、歴代の編集部の方々には私も編集部員のように可愛がって頂き、
私の中では本当に大きい、家族のような存在の雑誌でした。
仕事としては韓国から帰国後、紙面のプレゼントページのブツ撮りから始まり、
徐々に試合やインタビュー、ポートレートを撮らせて頂けるようになっていきました。
そして忘れもしない2006年の8月、現在の編集長の原田くんにとてつもなく大きな仕事を
頂きました。それはバルセロナに行って、ロナウジーニョを表紙として撮ってくることでした。
色々な撮影をそれまでしてきましたが、表紙の撮影はこれが生まれて初めてでした。
それもよりによって、超ビッグスター、ロナウジーニョ。
緊張しない訳がありません。
この時は、ロナウジーニョの他にもプジョル、イニエスタ、バルデスも撮影しましたが
あの時の緊張やものすごく考えた撮影のライティング、バルサでの色んなトラブル、
頼もしかった通訳さん、すべてが昨日のことのように思い出されます。
ちなみにこの時、カンプノウでの試合も初めて撮りました。
申し訳ないけど、今まで撮ってたサッカーの試合とは比較にならないスピードに
レンズを追いつかすのが必死だったのを覚えています。
その後、表紙も何度か撮影させて頂ける機会を頂き、その都度ビッグスターを撮りました。
ブツ撮りから始まって、何年もかかって表紙まで撮らせてもらえて、たくさんの貴重な経験を
させてもらいました。私の成長が詰まっている雑誌です。
今、雑誌は非常に難しい時代に来ています。
インターネットで情報がすぐに手に入り、見たい映像もネットで手に入る時代です。
わざわざ雑誌を買って情報を得る人が少なくなってきています。
確かに便利だし、早いし、私もヘビーネットユーザーの一人です。
でも、雑誌にしかできないこと、雑誌でしか見れないこともいっぱいあるんですよね。
それこそ、パソコン立ち上げなくてもベッドの上でゴロゴロしながらだって見れるし。
でもまた、こうやって一つ雑誌が無くなってしまうのは本当に寂しいです。
私も過去に深く関わっていた雑誌「VS.」というスポーツ誌が休刊するのを経験しています。
休刊の決まった直後の編集長の報告、編集部に漂う空気、すごく辛かったのを覚えています。
今回も、大好きな編集部のみんなが同じ思いをしたかと思うと切ないです。
最後の号は、WSG編集部のサッカーへの愛情がいっぱい詰まった1冊です。
もしお店で見かけたら、是非、手に取ってみてください。
私も少しだけ、撮影させてもらっています。
WSGに今まで関わってきた皆さん、本当にお世話になりました。お疲れさまでした。
またいつか、どんな形でも、復活できることを祈ってます。